これまでの人生で、
「美味しい!!!」
そう心の底から思った食べ物を覚えていますか?
私には3つあります。
夫と息子以外に話すのは初めてなのですが、
思い切って打ち明けます。
3大美味しかったもの
- 船の上で食べた「カップラーメン」
- 淡路島で食べた「焼き肉」
- 佐賀の叔父がつくる「柚子胡椒」
40代も半ばを過ぎて、これまで美味しいものはいろいろと食べてきました。高級と称されるようなものも食べました。
だけど、小学1年生のときに食べたあのカップラーメンのように、心が震える体験てもうないんですよ。母の田舎の佐賀に帰省するとき、フェリーのデッキの上で海風に吹かれながら家族で食べたあの味。身体思いな母が作る、茶色い(魚や煮物など)おかず多めな我が家のテーブルには出てこない、禁断の「カップラーメン」。
「焼き肉」は、淡路島でたまたま父と2人入ったお店です。高知県でのボクシングの試合の帰りに、父の運転する車で。20年以上前のことで、もうそのお店の名前も場所も覚えていません。あの店はまだあるんかなあ?
「柚子胡椒」は、佐賀の叔父が送ってくれていた手作りのもの。30年ほど前、柚子胡椒自体口にするのもはじめてで、
(こんなに美味しいものがこの世にあったなんて……)
絶句しました。(今でも柚子胡椒は、欠かさず冷蔵庫にあります)
なぜ、心に残ったのか?
これらの3つの「ご馳走」は、ずっと私の心にありました。でも、なぜこれらが特別なのかはわからなかった。父が他界して4年経ったいま、気づいたことがあります。
私にとって「しあわせの塊」だったんですよね。
19才(短大在学中)から父と一緒に仕事をやりはじめて20年以上。良いこともあったけど、苦しいこともたくさんありました。とくに後半の10年はぶつかってばかりで。ただの上司なら違っていたと思います。血の繋がった親を憎むってすごく苦しいんです。自分のアイデンティティの一部でもあるし。
だから、父と「ただの親子」だった頃の子ども時代の記憶が、私にとって特別なんです。焼き肉を食べたときも、楽しかった。柚子胡椒を送ってもらったときも、感動した。美味しさ+思い出が心に残って、特別なものになっていったんですね。
さいごに
お盆休みの4日間、家族で美味しいものをたくさん食べました。
名古屋→うちの実家→宇久のお墓参り→神戸→尼崎
うちの実家には名古屋のお土産とポンデリングを。
「うまいなあ!」
父が喜んでくれたことがあったから、それ以来ポンデリングも特別です。
4年前、父と息子と過ごした最後の1週間。
8月の外は暑くて、病院の真っ白いベットに座った父は「クーラーの効いた部屋で快適や」そういって笑っていました。
父→ガリガリ君
私→パルム
息子→クーリッシュ
3人で一緒に食べた最後のアイスです。
穏やかな時間を過ごし、いろいろなわだかまりも溶かし、その2日後父と別れました。
ちょっと湿っぽくなってしまったけど、お盆なので書いてみました。
私は息子に「美味しい」思い出作ってあげられるのかなあ?
(宇久理恵)